インプットは大好きな作風を見つけるために行う

インプットって何のためにするの?

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水谷です。今回はインプットについて。
 
表現を生業にしている人間として、インプットとして他の人の作品に触れることはとても重要性なものと理解しています。
 
それは一体何故なのでしょうか?
 
なんか大事な気がします。
やらないよりやった方が良い気がします
なんとなくスキルアップしそうな気がします
 
 
それについて少し腑に落ちたことがあるので書いてみます。

真似したい作風を見つけるため

それがタイトルにもある「大好きな作風を見つけるため」です。
 
 
例えば小説を1000冊読むのは、1000冊読んだこと自体が尊いのではないんです。
 
もちろん、表現のテンポが身に染みたり、語彙力が増すことあるかもしれません。
 
しかし、実はその過程で「自分のツボが分かること」が一番の財産になるのだと思います。
 
「こんな作風を書いてみたい!」と思える作品に出会うため、手当たり次第に色々な作品を読み、自分の嗜好性の可能性を広げていく。
それこそが創作の糧になるのです。

真似を恐れない

具体的にどんな糧になるのか?
 
僕の場合、「こんな話を書いてみたい」と思ったら、その衝動に任せて思いっきり真似するようにしています。
 
この熱量は時間とともに低下するので、とにかくすぐに似たような作品をつくる。
ただ、それをそのまま出すのは単なるパクリであり、劣化版です。
 
そう、たった一つを真似しただけでは。

オリジナリティをつくるには?

「オリジナリティとは既存のモノの掛け算」という考えが好きで、先ほどの流れに当てはめるのなら、
 
「作風A」にハマる→徹底的に真似る→「劣化A'」ができあがる
「作風B」にハマる→徹底的に真似る→「劣化B'」ができあがる
 
A'とB'が組み合わさって自分のオリジナルとなる。
 
といった感じ。
 
もちろん、A'とB'がうまく組み合わさらないこともあります。
しかし、どんどんと自分がハマったものがC'.D'.E'.F'と増えていけば、
 
A'とD'が組み合わさるかもしれないし、
場合によってはA'.D'.E'が化学反応を起こすこともある。
 
自分が大好きな作風が見つかるほど、オリジナリティの幅と深みが増すのです。

途中で読むのをやめてもOK

心から「こういう話が好き!」と思えるものに出会うことを目的なら、
インプットの途中で「違うな」と感じた作品は、無理して読み切る必要はないのかもしれません。
 
また当然ですが、小説に絞る必要だってないでしょう。
とにかく自分がワクワクするものに出会うことが何より大事なのです。
 
自分の知らない興奮の領域を広げること、それこそがインプットの本質なのかもしれません。
 
もし何かの参考になれば!